言葉が心に届くこと
好きなミュージシャンが何組かいる。ウォークマンでシャッフルで聴いたり、ドライブのお供にしたり、料理をしながらBGMとして聴くのもまたいい。
これまでなんとなく曲を聴いているとき、曲のテンポであったりメロディーであったり、そういう部分に心が惹かれる場合が多かった。
ところが最近、アルバムを頭から順番に流しているときにふと気が付いた。これまではあまり注意して聴いていなかった歌詞が、すとんと心の中に落ちてくるのだ。そして、はっとする。なんて素晴らしい表現をするのだろう。これが、伝わるということなのだと。
今まで全く気が付かず、ただ流れていくもののひとつだったものが、急にはっきりとした意味を持つようになった。音楽に限らず、小説や詩、絵画など、何かを表現する人はやはり感性が鋭いのだと。そしてその中でもより優れた感性を持ち合わせた人が、多くの人の心に届くものを生み出すのだと。
表現する側はもちろんそうであるが、受け取る側にもある程度の能力が必要だとわかった。わたしの場合は今、それが徐々に手に入りつつある感覚がある。
表現するということは、すごい。
一方、わたしの表現はどうだろうか。誰かと話しているとき、自分が発する言葉があまりに乏しいことに気が付く。「やばい」「すごい」「めっちゃ面白かった」「なんか」など、これだけあれば十分なのではないかと思うぐらい表現力に欠ける。
おそらく今はまだ他の人の表現に対して興味を持ち、関心する段階なのであろう。心にすとんと落ちてきた表現たちを自分なりに解釈し、かみ砕き、自分の一部にしていき、徐々に自らも表現できるようになるのではないだろうか。
これに気が付くのにずいぶんと長い年月を要した。気が付くのが遅れてしまったかもしれないが、ゆっくりでもいいから前進していけたらいいなあと思う。