あっちゃんの徒然

一個人の日常。どうぞご自由に。

近年の少年漫画

 近頃の少年漫画は、なんだか変化を遂げているような気がする。主人公の性質が変わってきているのだ。

 

 最近、『僕のヒーローアカデミア』にはまっている。とはいっても、まだ漫画は14巻までしか読めていない。アニメも5期しか見ていない。ファンの方々が万が一見ていらっしゃったら、何も知らないやつが適当なこと言うんじゃねえとお怒りになるかもしれない。ごもっともだ。申し訳ない。

 

 しかし話を先に進めよう。

 

 わたしがこれまで少年漫画の主人公に対して抱いてきたイメージは、「ガツガツしている」「元気いっぱい」「勢いがある」「男らしい」とまあこんな感じだ。要するに『ONE PIECE』のルフィである。多少お馬鹿で計画性がなくても仲間たちがそれをフォローする。自然と仲間たちが集まってくるのだ。

 

 対して、『ヒロアカ』緑谷出久はどうか。最初の印象も含めると「弱い」「泣き虫」「勉強熱心」「優しい」「中性的」など、なんとまあルフィ含めこれまで流行してきた主人公たちとはまるで違うように思う。

 

 出久だけではない。少々前に流行りに流行った『鬼滅の刃』の竈門炭治郎もその類ではなかったか?優しさが裏目に出て、敵である鬼を傷つけることにためらいを持っていたことが印象的だ。

 

 つまりどういうことかというと、個人的解釈によれば、主人公たちはそれぞれ秀でた能力を獲得していくという点では似ているのだが、近年の傾向としては「現実にいそうな」「優しく穏やかな性格の持ち主が」「努力の末に様々なものを乗り越え」強くなっていく。漫画の世界の話ではあるが、主人公の「普通さ」においてはリアリティを帯びるようになってきたのではないだろうか。それが共感を呼び、応援したくなる。

 

 とまあ勝手に述べてきたが、やっぱりこれは私見に過ぎない。そして数多の漫画を網羅しているわけでもない。もちろん例外はある。異論も認める。

 

 いずれにせよわたしの大好きな物語たちに感謝を。

めざせ文章の天才

 2021年ももうなかなかに進んでしまった。「2021年やりたいことリスト」なるものを作っていて(実際には今のところ78項目しか設定できていないのだが)、その中のひとつが「本を50冊読む」である。そして2021年5月16日現在、22冊読み終わっている。これはなかなかいいペースだ。

 ところで、だ。たくさん本を読んで知識や物語は頭の中に薄ぼんやりとではあるが蓄積されていっていはいる。しかし詰め込むばっかりでは頭の中がいっぱいになっちゃうんじゃないか?わたしのキャパシティでは溺れちゃうんじゃないか?というわけで、久方ぶりにこのブログにて記事を書いているところであります。

 そもそも、わたしには「小説家になる」という夢があった。小学校高学年から中学生あたりにかけてである。いつしか「そんなことを思っている時代があったネ」なんて懐かしがるような時期に差し掛かってしまっているわけだ。だがしかし、なせるなら文章力の向上くらいは少々期待したい。

 とはいえわたしは、日記を書くことすら億劫がる性質がある。1日1ページの手帳に毎日日記を書くぜ!と意気込んだものの、毎年3月ごろになると空白のページが目立ちはじめる。ならば、と今年はウィークリーの手帳に変えてみて、1日3行書こう!と意気込みなおしたものの、その3行を埋めることにストレスを感じるようになってしまった。もっと自分の性質を理解せねばならぬ。理解したうえで、昨日から「何行でも、何文字でもいいから、その日あったことを思い出せるような一言を記そう」と決めた。嬉しかったことならなおよい。ちなみに昨日の一言は、会社の先輩からの言葉「(わたしが交際相手と)結婚するんちゃう?おれのカンは当たんねん!」である。

 自分のことばかり書いてしまったので、今寝る前に読んでいる本について触れておく。森見登美彦のエッセイ集『太陽と乙女』を寝る前に元気が残っておれば1話ずつ読んでいるわけだが(エッセイって「話」って数えていいのかしらん?)、なるほどこれは睡眠導入本として最適である。まずエッセイなので、手ごろな長さ、区切れがはっきりしている、わたしてき文章の天才・森見氏の書いたものなので面白い。最高である。森見氏は学生時代、毎日大学ノート1ページ分の日記を書いていたそうな。3行すら億劫がる身としては、すごい、めっちゃすごい。それに尽きるな!彼の文章力は、毎日の日記から成っているのかもしれませんな。ほんでもって、そんなに手書きしてたら手が疲れちゃうだろうに。

 ふう、1000文字を超えた。やっぱりキーボードを使うと楽だね。もしかして日記を書くのが億劫なのは手が疲れちゃうから?あんまり書くと今後書くことがなくなってしまいそうなので、今日はここまで。

言葉が心に届くこと

好きなミュージシャンが何組かいる。ウォークマンでシャッフルで聴いたり、ドライブのお供にしたり、料理をしながらBGMとして聴くのもまたいい。

 

これまでなんとなく曲を聴いているとき、曲のテンポであったりメロディーであったり、そういう部分に心が惹かれる場合が多かった。

 

ところが最近、アルバムを頭から順番に流しているときにふと気が付いた。これまではあまり注意して聴いていなかった歌詞が、すとんと心の中に落ちてくるのだ。そして、はっとする。なんて素晴らしい表現をするのだろう。これが、伝わるということなのだと。

 

今まで全く気が付かず、ただ流れていくもののひとつだったものが、急にはっきりとした意味を持つようになった。音楽に限らず、小説や詩、絵画など、何かを表現する人はやはり感性が鋭いのだと。そしてその中でもより優れた感性を持ち合わせた人が、多くの人の心に届くものを生み出すのだと。

 

表現する側はもちろんそうであるが、受け取る側にもある程度の能力が必要だとわかった。わたしの場合は今、それが徐々に手に入りつつある感覚がある。

 

表現するということは、すごい。

 

一方、わたしの表現はどうだろうか。誰かと話しているとき、自分が発する言葉があまりに乏しいことに気が付く。「やばい」「すごい」「めっちゃ面白かった」「なんか」など、これだけあれば十分なのではないかと思うぐらい表現力に欠ける。

 

おそらく今はまだ他の人の表現に対して興味を持ち、関心する段階なのであろう。心にすとんと落ちてきた表現たちを自分なりに解釈し、かみ砕き、自分の一部にしていき、徐々に自らも表現できるようになるのではないだろうか。

 

これに気が付くのにずいぶんと長い年月を要した。気が付くのが遅れてしまったかもしれないが、ゆっくりでもいいから前進していけたらいいなあと思う。

秋の入り口

今年の夏はとても暑かったように感じる。

毎年言っているようだが、今年は特に、だ。

 

9月に入ると、一気に涼しくなってきて、

ずっとこんな気候が続けばいいのになんて思う。

 

一年の中で一番秋が好きだ。

 

過ごしやすいというのが一番だが、

眠たくなりやすく、気持ちよい睡眠にいざなわれること、

巷も少し静かな気がすること、

何をするにも穏やかな気持ちになれることなど、

たくさんの理由がある。

 

しかし気が付けば、秋はすぐにいなくなってしまう。

もしかしたら、そんな物足りなさもあって好きなのかもしれない。

 

短い季節、さてどのように過ごすべきか。

季節移ろい

前回の更新から2か月と少しが経過してしまった。

その間これといって書き連ねるべきことがなかったかというと

そういうわけでもない気がする。

 

2か月もあればいろいろなことがあるわけで

世界は半年前の状況に戻りつつある。

 

様々なことに制限がかかっていたが

それも次第に緩和されていき、わたしたちは再び自由を手にしつつある。

 

社会を元気づけようと各企業・団体がキャンペーンを行っている。

みんなで元気になろう。

 

久しぶりに書いてみて、この内容の薄さである。

繰り返すが、人に伝えるべきことがないわけではない。

 

圧倒的アウトプット能力の低さだ。

今日の夢のこと

夢を見た。

知人がたくさん出てくる夢だ。

 

それは友人の結婚式の夢だった。

先日結婚したが、結婚式は資金がたまってから考えると言っていた友人だ。

夢の中では体育館のようなところではあったが、

たくさんの人が招かれ、盛大な式が行われていた。

 

現在、感染症が蔓延する中でみんなが結婚式を挙げられなくて困っている。

延期して、延期して、中止して。

せっかくのお祝いの席なのに、大変気の毒に感じる。

 

なんというか、早く安寧のときがくればいいのにな。

日々の云々

春なので、地元を飛び出して新たなる生活をはじめた。

 

そう、春なので。

 

というのは後付けで、実は新たなる生活をはじめる時期はいつでもよかった。

たまたまなんとなく生活をかえてみようかな、と思い

たまたまなんとなく見つけた家がよさげで

本当にたまたまなんとなくの積み重なった結果だ。

 

転居に伴ってごっそり休みをとっており、社会との関わりが薄くなり

そういえばブログやろうと思ってたんだよなあと思い出し、今にいたる。

 

それにしても幸先が良い。平和だ。

 

この世界の皆様、どうぞよろしゅうに。